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埋もれたい願望
2006-12-26 Tue 21:43
冬至の日に浴槽で柚子浮かべました?

私の家、まだ柚子が風呂場にあったりします。ちょっとブヨって来ました。

冬至当日、浮かぶ一個の小さな柚子を見て思ったのですが、これは一個では物足りないのです。確かに一個でも香りは楽しめますし、ザテレビジョンの表紙のように(といってもあれは柚子ではなく檸檬)手に持ってみると何かしら落ち着くのです。しかしながらさびしいものがあります。
テレビで大自然の中に湧き出るどこぞの温泉で柚子を浮かべて冬至を満喫している人がいたのですが、それでもまだ温泉の床が見えていて不十分だと強く思いました。

どうせやるなら思いっきり、柚子があるから水かさが増す!ぐらいやってみたいのです。隙間なく埋め尽くしてみたいのです。凝り性はこういうときにお金がかかります。
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いつも見えない
2006-12-14 Thu 22:48
先日スーパーエッシャー展に行ってきた。

平日の昼間ということで余裕で見られるだろうと思っていったのが間違いだった。老若男女問わず人があふれていた。

エッシャーとの出会いは長崎のハウステンボスにある「ミステリアスエッシャー」というアトラクションである。お決まりの”すごい”という感動。それ以来特別な感情を持っている。

エッシャーの作品は小さいものもあって、人が接近して見ているから後ろから覗き込む余地がない。一列目の人に重ならないように二列目の人が並ぶ。さらにそれを避けるかのように三列目に人が並んでいる。まるで自分がエッシャーの作品に吸い込まれたような気分である。これをエッシャーが予想していたのだとすると彼は天才である。

とにかく日本にこのようなちょっとすごいものがくるとこぞって人が訪れるのはいつの時代も同じである。先日母がダリ展に行ったらしいがそこも人の重層列だったらしい。私が小学生だったときにルーブル美術館の作品が万博にきて、友達のご両親に連れて行ってもらったように記憶している。しかしながら小さい私にはほとんど何も見えなかったと思う。大きい人が多すぎて。

アメリカのニューヨークでは夢にまでみた美術館めぐりをしたが、人に悩まされることはなかったように思う。むしろ人がいなさすぎて21歳にして本気迷子になったぐらいである。どうしてこうも違うのか。

最近説明会に行くときはなるべく早く家をでてズレ勤に貢献しているつもりだが、美術館系はどうしようもならない。もうこれは本場に行って、その土地に見合った大きさの美術館で、悠々とした気質の現地人と一緒に、どうせなら温かい電源の下で堪能するしかない。


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父親たちの星条旗
2006-12-05 Tue 22:32
タイムリーな映画も押さえておく必要があるかと。というより元からこういう重い映画が好き。コメディーは観ない。邦画も最近観ない。

(以下ネタばれがあります)

この映画の内容を一度みただけで、どの程度の人が理解できるのか気になるところだ。それぐらい複雑で難しい。まず時代が頻繁に行ったり来たりする。主人公は一人ではなく、それぞれの視点で一つの事象を捉える。
私が最も理解に苦しんだのは、インディアンの血筋である主人公が差別を受けるところ。料理屋で入店を断られることと、英雄と呼ばれる存在なのに身分相応の仕事や名誉を得られていないこと、復員することの中に隠れている差別はみんなどれも別物でひとくくりにはできないのである。しかし、映画の中で、同時に登場する。加えて、あたかもこれらが全て英雄に関連するように物語られるところに一種理解困難が生じる。

彼が復員するのは、英雄と呼ばれることに嫌気がさして社会的に希望を見出せず、厳しい環境に身をおいたほうが自分でいられるから、ではなく単に彼の血的に仕事が見つからないからだと大いに考えられる。

レストランに入れないのも、彼の血に関係がある。そもそも彼はインディアンである自分が英雄と呼ばれることに一切喜びを感じておらず、(たとえばインディアンの社会的地位向上に貢献した、など)自分が受ける社会的差別や語られない硫黄島戦の真実の重みに苦悩しているのである。

以上のような難問を抱えつつも、それが逆にただの戦争映画に終わらせない魅力ある映画になっていると考える。映画が矛盾の宝庫であればあるほど人の意見は分散していくものである。
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男の職業
2006-12-02 Sat 07:41
随分前に書いた記事を衝動的にアップする。


今年も一流ケーキ屋さんのクリスマスケーキが売り出されているよ


お取り寄せスイーツ
http://www.bidders.co.jp/sweets

なんでも通販という形態で注文を受けて、一気に配達する社会ではもはや当たり前の現象ではあるけれど・・それでも驚きを隠せない。ケーキはどうしてひっくり返らないのだろう。

このHPを見ていて思ったのは存外に男社会であること。パティシエ一覧表を見てみると、女性は1人だけ。24人中1人だけ。実に男社会である。

この理由を考えてみたのだが、やはり客の大半が女性であることが大きいと思う。この場合パティシエは基本的に「甘党」で味にうるさい女性の好みをよく理解している男性が適任ということになる。

女性のことは男性のほうがよくわかっている、という仮説をいろんな職業にあてはめて考えてみると、次に写真屋のカメラマンが浮上してきた。いよいよ就職活動始まりの合図が聞こえたので、いっちょ奮発してプロのカメラマンに写真を撮ってもらったときに気づいたことである。


パティシエとカメラマンはどちらも目利き優れる人が慣れる技術職である。パティシエはケーキを通して女性の心を見抜き、カメラマンは写真を通してそれを見る多くの人間の心を捉えているのである。
私の価値観をよく知っていてため息をつく人もいるかもしれないが、一般的に上手なカメラマンはかっこいい人が多いような気がする。完全なる主観論。

「something preciousは異性からもらいたい」ってどこの業界でも同じ。そういうふうにできている。言われるより実感することが多いのも納得の世相だ。
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