スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
記憶つながり
2007-04-06 Fri 00:00
池で悠々と泳ぐ鯉を久しぶりに見た。
いまどき企業が庭で鯉を飼うのも珍しく、しかもその庭に植えられた花も素敵で思わず見とれてしまった。
そのときにふと、ずっと昔の記憶が甦ってきた。3歳の頃の記憶である。

実際自分がどの程度昔の記憶を有しているか謎であるが、おそらく私の場合2歳になったぐらいからあると考えられる。世間には2歳から楽器を始めるスーパー英才教育児もいるぐらいだから妥当なところかもしれないが。

私の鯉にまつわる一番最初の記憶はまさに私が2歳ぐらいのことで、祖父母の家の庭で泳いでいた数十匹の鯉である。いかにも自然に掘りましたといったような深く底の見えない池にまるで赤と白の布が敷き詰められているかのようだった。

それがうちの家族が引っ越してくることになって、つまりはその庭は均されて私の家族の最初の家が建ったわけだけど、その際鯉たちはどうなったのか私は長い間知らなかった。実は姉が通う幼稚園に寄付されていたことを知ったのは、私が住んでいたマンションから新しい家に引っ越す直前であった。

なぜ母親が当時長い間私に鯉を寄付したのか言わなかったのか、その当時はよくわからなかった。しかしながら、実は母親が鯉をすごく好きでかわいがっていたからなかなかその鯉の引越しの事実を受け入れられなかったのではないかと個人的に解釈している。

そんな幼稚園の鯉が、ある日野良猫にやられてほとんどが死んでしまったという話を聞いたとき私は非常に悲しんだ。私が覚えている当時の記憶はほとんどこの鯉にまつわるものしかないように思う。それぐらいこの事件は衝撃的だった。それが今頃になって突然浮かび上がってくる。単に池の中を悠々を泳ぐ鯉を見ただけで。次また鯉を見るときは最初の丸々と太った鯉の思い出、今日就職活動真っ只中で見た、悠然とした鯉の思い出が浮かび上がるのだろう。一つの事象が持つ影響力は当時何気ないと思っていても、再発することで持続力を手に入れ私の脳に深く刻み込まれるような気がしてならない。

毎年の誕生日やクリスマスが楽しかったり悲しかったりするのもこれと同じ法則によるもので、経験の積み重ねは毎年同じイベントを繰り返すことによって長く重みのあるものに成長して訴えてくるのである。歴史は断片である。しかしそれらを結びつける刺激導火線を各記憶は決して失ってはいないといえる。
スポンサーサイト
別窓 | 未分類 | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
| capriciousviolin |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。