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衝動
2007-06-27 Wed 00:21
赤ちゃんが飛んだ


時々、物事のあるべき順序をムシして飛びたくなる衝動。まだ火曜日なのに。


たとえば、この中途半端な髪を明日刈り上げマス!みたいな。




しないけど。




明るいカラーはしたい。肌荒れしないやつ。

ここで止めるのは、完成後の姿のイメージだけ。全てはわたし次第。ふふふ。
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寮の思い出
2007-06-25 Mon 12:40
会社に入ってから、はじめて一人暮らしをしたり、寮に入ったりして悪戦苦闘する友人が結構多い。壁が薄い、部屋が狭い、人の付き合いが難しいなんて悩みから、一人暮らしそのものに対する不安まで、いろいろある。一人にしろ共同生活にしろ、環境が大きく変わると、人によってはなれるまで結構かかると思う。

個人的なことやけど

大学1年2年の頃、防音設備がある寮に入れるという親の方針で、学校の利便性一切無視の、しかも各駅停車しか停まらないごっつう不便なとこに住んでて。さらに、その寮は私よりも築年齢が高く、個室の大きさがなんと4畳半しかなかったもんだから、部屋の小さいクローゼットに服や靴が入りきるはずもなく、だんだんとベッドの寝るスペースが侵食される日々。学生寮らしくつけられた壁一面の本棚もほとんど服が占領(笑)

そんな中隣の部屋とか、入寮したての頃話したという理由で仲良くなる友達もできはじめて。女子寮だし、24時間管理人さんがいるから防犯の心配もなく呑気なすっぴんパジャマ友達が私の支えに。
いや、中にはあんま気のあわんのもおって、その子と共同洗濯所では一緒になりたくないな、みたいな女の確執がなかったといえば嘘になるし(汗)、夜中に知らん人がうちの部屋にきて、

ゴキブリでたんで、退治するの手伝ってください!!!(大泣き)」

っていわれたときは、意識半分寝たままその人の部屋いって、ぬいぐるみ溢れる部屋の隅々まで一緒にゴミ袋もって探し回って。(結局見つからなかった)。


私は歩くアースジェットですか?


・・・


大学の入学式終わって、寮に一緒に戻ったあと、いざ親が帰るときには号泣。むこうのほうで別の親子も号泣。もうどっちが一人になるのかわかんないぐらい寂しさの競争(合?)

ちょうどそのときぐらいから仲良くなったのがKちゃん。
最初リアルヤンキーみたいで怖かったんだけど、話してみたら素直でめっちゃ純粋な子やった!

で、今もたまに会う中。場所は田園都市線の○が丘から銀座や渋谷になりましたけど。
お互い不安を抱えながらも、”一緒にいるだけで心救われる”とはまさにこのこと。ルールもいっぱいあって怒られたこともあったけど、それは共同生活なら守らなければいけないことだし。


よく鍵かけないで外出しちゃったり、スリッパのまま出かけちゃったりしたこともあったけど、できるものならもう一度あの寮生活したいね。
門限が11時でなければ・・!
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東京マラソン
2007-06-24 Sun 18:01
東京マラソンが来年も開催されるそうで。本マラソンの他に10キロ走るのもあるみたいで、そっちならでてみたいなあと思ってるところ。

石原知事太鼓判の超超ビッグイベント。前回、マラソン大会当日、私は朝8時から銀座にいたのだけれど、ここ数日ふってないなー・・と思うほどの大雨で。どうすんだこれと思ってたけど強行開催。なんせオリンピックの選考会も兼ねてるような大きなイベントであり、ボランティアの種類や交通整理も”東京”ならではの周到さ。後戻りなんてできないのね。

で、前回抽選だったっていうから今回もきっとそうなることが予想される。これ、なんとか緩和できないかなって思って。
コースがさ、一通りしかないから、ここに改善提案!
片道規制するなら、今回は両道にして2種類作るのはどうかな。
AのスタートとBのゴールが同じ。
BのスタートはAのゴール。そうやっていっせいに車の動きをシャットアウト。移動手段は電車と地下鉄とバスのみ。サイコーにエコな日。

前に、小泉元総理が、「私が(靖国に)参拝してもしなくても批判される」っていってたのを思い出して。中途半端な交通渋滞を起こして文句いわれるぐらいなら時間内は盛大にマラソンコース建設しちゃっていいんじゃないかな。
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言葉の定義
2007-06-24 Sun 09:11
飲みの席で、あんまりにも知人が同じ言葉を口にするもんだから


こっそりテーブルの下で数えてました。

人間何度も何度も言われると、急にその言葉の意味が気になってくるのです(私だけ?)。その人、ある言葉を15回も言ってたんです。プライバシーあるから出せないけど。生きるうえでもっとも関わりのある言葉でした。


完全に自分と違う定義で使ってるっぽくて混乱しました。まるで自分の価値観と違うのです。それは違う~!と思うと同時に、ああこの人とはちょっと話あわへんやろなあと思うようになりました。

きっと、風貌とか財布とか箸の持ち方とかお酒の勧め方とか、そんなもんは目の前に座ってる人がどんな人かを見るほんの一部のポイントでしかないんです。言葉からの人生観にもっと早くに気づくべきでした。それを受け入れるか、受け流すかはその後の問題ですけれど。
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日本語あれこれ
2007-06-23 Sat 09:32
完全に雑記だけれども、現段階で日本語に対する疑問を。

【新しい日本語】

が毎年どれだけ日本界隈で生まれ、正式に認定されるのかという疑問。
最近はやりの”ヤバイ(あえてカタカナで表記)”は三省堂のweb辞書には(俗)という言葉、すなわち俗語というカテゴリーで表記されている。意味は非常にまずい(=危ない)とのこと。

またまた教習所ネタで申し訳ないんだけど、教官との高速での会話は以下の通り。

教官(以下 教) 最近、なんでもかんでもヤバイヤバイっていうでしょ。

大阪娘。(以下 娘。) そうですね。いい意味にも悪い意味にも使ってるような。

教:そうやろ。でもね、本当の意味知ってる?

娘:・・知らないですね。

教:元はこれヤクザ言葉なのよ。刑務所って意味の厄場が転じてヤバイになったの。だから「まずい状態」って意味なの。なのに最近は、ヤバイおいしいとか、これヤバイかわいいとか言うんでしょ。

・・・

俗語とはいえ、これだけ広がっているヤバイをどうする金田一先生。
大方俗語の発祥地は若者っていうけど、若者の情報源はテレビやネットのメディアなわけで。芸人やら俳優やらが使う”ちょっとオカシナ日本語”が若者に浸透している印象を受ける。特になんとかしてほしいのは「全然」の使い方。「全然~ない」の正しい用法だけは死守してほしい。全然いけますよってなんですか?


【歌詞の盗作】
以前オレンジレンジや大塚愛が散々叩かれた詞の盗作疑惑。これは作詞家を永遠に悩ませる問題かと。

上からの続きになるけれど、毎年新しく認定される日本語の数より作詞の数のほうが格段に多いのに、他人の歌詞とまったく被らない歌詞を生み出すことに限界を感じてもおかしくないと思う。誰かが今まで使われた言葉ないし歌詞をデータベースにしているわけではないのにさ。

だから、今の歌詞に関する著作権には限界を感じてる。なんでもかんでも新しい表現がいいってわけでもないし。そんなの書いても誰もわからないし。時々作家でかなり変わった表現をする人がいるけど、乏しい想像力では作者の思い描くイメージに到底及ばないんだわ。読者や聞き手をそこまで放置していいのか疑問が残る。

将来、ネタがなくなってアーティスト=カバーし、されるもの みたいな状態になったりしてね。



新しい日本語の予習法 新しい日本語の予習法
金田一 秀穂 (2003/04)
角川書店

この商品の詳細を見る


この本に俗語や若者言葉について書いてある。
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客観的視座を得る
2007-06-20 Wed 21:38
先日友人とご飯を食べている時に、就職・仕事の話になりまして。

彼女曰く、現代社会の構造は適材適所でないことがそもそもの原因らしい。働く若者が少なくなっている、3年で3割がやめる労働市場にはちょっとしたカラクリがあって、実は若者の労働人っていう一個のパイがきちんと切り分けられず、一箇所に偏ったり、本来わたるべき皿に行かず別のところに配分されているのである。

一人一人が適材適所の言葉に従って仕事に就けば労働市場の不均衡(具体的には有名企業大企業にばかり若者の志望が集中する)やミスマッチを感じての退職(転職)はなくなる、ってのが現段階での理想論。

けれども、何を基準に適材適所というのだろうか。家が代々八百屋だかたそれを継ぐ、というのは慣習であって適合性の問題ではない。大学で専攻したからといのも怪しい。学部で学べることなんて社会の大海原に流れる貝程度である(と最近思うようにしている)。

よく耳にする、私はこの仕事に”向いている”という考え方が最も怪しい。実際に働いたこともないのに何をもって”向いている”なんていえるのだろう。結局のところ、自分の評価を過大に見誤ることが原因なのである。自分と対峙することはときに自分の判断を誤らせることになる。だから自己分析は一人でしないほうがいい。

加えて、”向いている”の判断基準は、自分の外側に置いておくほうがいい。例えば、洋服を買うときに狭い試着室で鏡も見ずに洋服を買う人は稀である。試着室からでて、鏡に映してみたり、歩いてみたり、少し勇気を出して店員のアドバイスをもらうのもよし。そうして自分の外に審査基準をもっていくことで自分に不似合いな洋服にも目を配ることができる。”向いている”かどうかの基準は決して内側からわいてくるものではない。直感的なひらめきも将来の長い目で見れば安易に選ぶべきツールでないことがみえてくる。


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新入りの立ち位置
2007-06-17 Sun 21:55
新しくオーケストラに入るってのは新しい社会に入るのと同じようなもんだから、それなりに苦労するとは思ってたんだけど・・・


こんなに大変だとは!世代の違いヒュゥ!


(現在私は、今年3月をもって引退した大学のオーケストラクラブOBOGからなるオーケストラにエキストラ要員として出向しております)


まず年代構成がバラバラで。20代チラホラ、40代まあまあ、オーバー60、ドーン!みたいなね。曲は超マニアックなのに、みなとみらいの大ホールでやるという強気なところが慶應っぽい。

毎年、60人ぐらいは私が所属していた学生オーケストラから卒業生が巣立っていくというのに、エキストラ合わせても5人ぐらいしかいないし。なんでかなあってのを考えてたんだけど、見ればわかるよこれは。

まず、この年代構成で、年上の人の声が強いから調整が難しい。現に何年か上の先輩が一生懸命各パートのメッセンジャーとなって前線で頑張っている。あと、それに伴って話題あわせも難しい。隣で、筑波のマンションか都内の億ションか、みたいな話をしていて、さすがにこれは20代の娘にはあわせられんと思う。

後は、演奏に関する難しさ。権力者を地で行くコンミスのお姉サマ。いくら人数足らんからって、練習参加2回目の、しかもエキストラの私を1プル裏(要するにコンミス席の隣)に座らせようとする強引さにはさすがに閉口。どんだけ~!

楽譜に忠実になるあまり、コンミス代理の運弓は無視・・にも困惑しまくりで・・

必然的に、学部時代よりも準備と後片付け頑張る(苦笑)

年上の人とうまくやるのって難しいな。


ただ、やっぱりみんなで演奏することは素晴らしいし、こんなに歴史を感じられる環境は他にないだろうし(笑)。何より現役を引退して以来まともに練習してなかったから現状維持の励みにはなる。嫌いなショスタコービッチにも愛着もてるかもしんないし。後1ヶ月弱だけど、きっと楽しい音楽ができると思う。というわけで、どさくさにまぎれてお知らせなるものを。


第62回定期演奏会
日時:2007年7月15日(日) 14時開演(13時20分開場)
場所:横浜みなとみらいホール
指揮:新田 ユリ
曲目:アルヴェーン/エレジー
   シベリウス/音詩『エン・サガ』、『フィンランディア』
   ショスタコーヴィチ/交響曲第6番
後援:フィンランド大使館/日本シベリウス協会

チケットは電子チケットぴあ(電話0570-02-9999)で4月26日より発売します。
Pコード:257-547
チケット:全席指定 2,500円

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飛躍してごめん
2007-06-16 Sat 00:59
普段は街頭で配ってる試食品には手を出さないんだけれども。たまたま入ったカフェでもらったし、なんかお腹すいてたしで食べたグミのネタ。

試食品ってこんなものなのかもしれないけれど、袋は結構大きいのに肝心のグミは1個しか入ってないのね。完全なる過剰包装なの。
ちなみにもらったのはコレ↓
ピュレグミ
http://www.purepure.net/pure2/top.html

いろんな味があって青林檎を開封。そしたらさ、味は確かに果汁のしっかり感じられるものだったんだけど、触感がモハモハでさ。粉っぽいの。周りにつけた粉にはなんの意味があるんだろう?しかもこれって砂糖じゃないの??

で、話はその試食のやり方に戻って。

無料だからちっさいグミ一個に文句つけるつもりはないんだけれども。それ見て、昔テレビで流行ったドリフのコントの中に、貧しい老夫婦がマツタケを買いにいくってのを思い出したの。1本3万円のマツタケで、買えないから、安くしてくれって頼むんだけど当然だめで。所持金300円だけで買えるだけくださいっていうの。そしたら包丁に張り付いたうすーい1キレのマツタケをくれるって話。

そのマツタケ話をグミを食べてる時にいきなり思い出して。それをたまたま隣にいた同期に話したら知らなくてさ。ドリフを。もう衝撃っすよ。いやむしろ自分の飛躍具合に脱帽だよ、と言われたけどね。

この衝撃具合、去年のクラブの合宿で1年生の女の子がジェスチャーゲームでカメハメ波を知らなかったときと同じぐらい。相手の知っている話題をよく見きわめてから話さないと、あっけらかんとされてしまう。

でもおかしいな。教習のおじさんと普通に会話できちゃうよ。この前は登山と高山植物の話。お互い写真が好きで盛り上がった。路上教習で、道路の端に停めるってのが内容だったんだけれど、違法駐車が異常に多くて停められなかったのと、話の内容でおじさんが指示を出し忘れたので、ただ走っただけになっちゃって、停めたのはたったの一回!

「停め方わかったよね?」

っておじさんさすがにこれじゃできないよ~↓
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好きだけど不適格
2007-06-15 Fri 09:08
好きだけど、不適格ってことが実は多いことに戸惑う4月5月6月。

後少しで、免許がとれそうだから時々自分で車を運転している姿を想像するのだけれども、あんまり向いてないよなあ運転・・とそのたびに思う。

母親の「アンタはどんくさいからATにしときなさい」という仰せ付けのとおりに、MTからATに変更したのは本当に正しい決断だったと他の教習者を見ていて思うのだけれど、実は(自分でいうのもなんだな・・)運転に関する”カン”はあると感じるのよ。クランクやSカーブもへっちゃら。完全に停止せず惰性ですいーっと進めたの。

だけど、問題は運転中の意識なんじゃないかと。歩いている人、咲いている花、対向車の運転手のメガネなんかが気になって仕方ない。
通常、直進で交差点に入る場合は、右折したい対向車のために待つ必要はないし、割り込みしてくる車より自分の車のほうが優先なんだって思いながら走ろうねと教官に諭されてなんか納得。歩行者と目が合えば、向こうは自動車がいったん停止してくれると思うし、右折待ちの車を眺めれば、向こうはこっちが譲ってくれると思う。だから結論として、結構危ない。


ちなみに、運転って不思議なの。目で追うところに自然と車を持っていくよう、手が操作するのね。ほとんど無意識に。例えばカーブのとき、近くを見ていたら小さく回ってしまうし、遠くを見ていたらなだらかなカーブを描いて曲がっていく。

それに加えて、なんと相手に期待しすぎる危険度の高い車の多いこと!(自分も然り・・)。まだ運転したことないけれど、大阪はもっとこの傾向が強そうだよ。譲って”くれる”、止まって”くれる”。そういう人間の心理が次々と明らかになるまさに(理性の)交差点。

でもさ、仕事の関係もあるし、ほぼ確実に将来運転しなければならないからペーパードライバーになる気はないの。好きなのに不適格だからという理由であきらめて車を運転しないことで起こる不便さやコストの問題に関するストレスと、運転するけれども自分の習性に気をつけていなければならない労力に関するストレス、どっちが大きいんだろ?
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「笑」の効用
2007-06-12 Tue 17:58
携帯電話やパソコンのメール文化に欠かすことのできない(と思われる)この「笑」がどれほど人に影響を与えるのか考えてみたことがある。

少し前に、リスペクトするKREVAが(笑)は笑顔の略だって言っていたので、私はもう半ば狂信的に友達に布教しまくっていたわけですが、結局のところ世間で使われる「笑」にはもっとナルシスト的な面が多いようなのです。上記の意味だと「笑」はメールで使われた場合、「アンタここで笑ってよね」的な指令が書き手から出されていると考えるのが妥当のようですが、友達の多くのメールを見ている限り「笑」が自己救済のために使われているように感じます。

例えば、「今日遅刻して先生に怒られちゃって笑」

とか

「明日はしばかれるんで骨は拾ってください(笑)」

とかね。

こんな調子で、どう考えても文の内容は救われるものでなくシュール感すら漂うのに、最後に「笑」があるだけで、明るい文章に大変身しています。

いや、それ笑えないよ・・とまともにとってしまうとここではNGで、書き手がそっと発信している末尾の(笑)の心情”なんちゃって”を潔く読み取る必要があるのです。私頑張ってるんです、なんとかなるといいなあと思っているんです、という気持ちがこの一文字に凝縮されていることを考えると、なんと若者は楽観的で、解釈を読み手に押し付ける人間なのか!と驚かずにはいられません。

これから私も間違って友達を怒らせたときは”笑”を使ってなあなあな関係を築いていきそうで怖いです。路上教習中にミスって、実際にタハハ笑いしても誰も許してくれないものですし。

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時間あっちゃこっちゃ
2007-06-11 Mon 23:17
人間はあらゆるものを支配することはできますか?という問題を見かけたのはちょうど5年前のことである。どんな根拠でもいいから自由に発想して答えることのできるいかにも文学部らしい問題で、妄想好きの私は勢いよく書き出した記憶がある。課題文は3つで、どれも”時間”に関するものだった。『モモ』と『ゾウの時間ネズミの時間』がその2つである。

時間を題材に扱った話は大変興味深い。一時人気を博した『Back to the future』や『Starwars』はその代表的なものである。前者はそもそもタイトルを聞くだけで武者震いがするほどである。(未来に帰るってなんだ?!)また後者は主人公の生い立ちやらダースベーダーへ堕ちていく過程が順番に「巻き戻される」ように映画公開されてきた。

と、ここまでフィクションのネタであるが、実際人間がどれほど時間というものを支配できるかという壮大な問いに対する答えのようなものを自分の中に見つけたのではないかと思うのである。


現在私がやっている政治学の勉強は、昔のエライ人が考えた哲学的なものを掘りこして、現代社会に応用していくものである。政治、経済、文化が変容すれども、社会を動かす根本理念はきっと変わらないのである(と信じないことには何も始まらないのが私の研究である。このあたり、平和や道徳という言葉でとりあえずは濁しておく)。そもそも現代に応用できない哲学者はただの一発屋以外の何者でもないのだから。


では人間関係にまつわる時間についてはどうであるかと考えてみると、これも完全とはいえないまでも随分人間の自分勝手な解釈と行動でコントロールされつつあるのではないかという結論に至った。
それはなぜかというと、最近友達に「あんたは目の前のことから逃げている。初心に戻ってやり直せ!」とひたすらに説教されて、ふと私は、自分がスタートラインにたっていながら「前に進む」という選択肢を取らなかっただけではないかと厚かましくも考えていたのである。


それは、人間関係をリセットするという最終系まで至らなくとも、あの日の会話はなかったことにしよう、とか情熱やらテンションやらを抑えるために、人里離れてみるといった方法は、何か問題を抱えていて解決しようと踏み出すときにとりあえず前に進む、という方法と一致するわけではない。あくまで自分勝手なやり方なんだけれども。一方的なんだけれども。

つまりは、ただひたすらに痛々しい傷の残る人間関係に関する時間操作の荒業であるというわけ。
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| capriciousviolin |
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